毎年秋にくる「赤い羽根共同募金」。
「くる」っていってしまう時点で募金という思いが少ないのかもしれませんが、募金なのに
半強制的な感じしませんか?
別に募金するのが嫌じゃないんですけど、ちょっと強引というか半強制的な感じがするので、「募金しなくても大丈夫かな?」なんて考えてしまいました。
募金なんで有志ですよね?
赤い羽根募金の集め方が半強制的な感じ
私の町内会は、私が引っ越して町内会に入って何年のうちは秋に回覧に
「赤い羽根共同募金のお知らせ」と印刷物が挟んである程度だったのですが、私が町内の班長にあたる前の年から班長が赤い羽募金の勧誘というか集金にまわらなくてはならなくなりました。
そのときも、
「募金なんだから強制みたいなのはおかしいんじゃないの?」と思いながらも、まだその区に入ってまもなかったので各家をまわりました。
「あなた去年してくれたもんね。私もするわ」と私の前の班長さんがしてくれました。
こういうのおかしい気がするんですよね。
実際家まで募金の勧誘にこられたら、普段から知ってるご近所の方ですし、断ると角がたちそうでなかなか断れない半強制感です。
何も思わない人もいるのかもしえませんが、私は断りにくいですし、班長で集めて回った時に2軒断られてそのうち1軒は仕方ない感じの家でしたが、2軒目のお宅ははただ単に払いたくないという感じだけの人でした。やっぱり断られるとがっかりとまではいきませんが小さいですがなんとなくしこりができますね。
ご近所さんからの募金の勧誘は、はっきりいって断りにくいし断らない方がいいかもしれません。
赤い羽根募金が小学校からもくる
子供が連絡帳に挟んで「赤い羽根共同募金」という茶色い封筒を持ち帰ってました。
その日、私は帰りが遅くなってしまったので周りの仲のいい保護者さんにもきけませんでしたので、
「町内会でもやったけどなぁ。。。どうしよう」なんて思いながら
「もし周りのお友達が全員募金しててウチだけしてなかったらケチな感じになるなぁ」
と思い一応持たせました。
結果どうだったのかわかりませんが、
今年の担任の先生ははとてもきちっとされていて、なんでも名簿にチェックされています。
だから、募金もしたかしてないかをきっちりチェックされてたかもしれません。
あんまり気の強いほうではないので、募金しないにすることが少し勇気がいりました。
募金をしたかどうかの区別するのはどうなんだろう
募金をするとその名のとおり赤い羽根をくれるんです。時期になるとアナウンサーでそれをつけてテレビに出て来る人がいますよね。
あの、募金したひとだけにお礼の品(ここでは当然赤い羽根です)を渡すのどうなんでしょうか?
募金をした人がわかるということは、逆にいうと募金をしなかった人もわかってしまうということなんです。
これって疑問ですよね。
募金をするしないに優劣はないと思いますし、今回はたまたま募金させてもらってましたが
「私募金しましたよ」って人にアピールするものではないと思うんです。
だから、募金は自分の気持ちというか意志でするものなのでこそっとすればいいとおもうんです。募金した人としてない人をわけるのはいかがなものでしょう。
赤い羽根募金の集め方のまとめ
私は赤い羽根募金の活動自体に関してはとてもすばらしいものであると思っていますが、
募金を集めに各家庭をまわったり学校から集めるのはあまり賛成していません。
でも、たくさん募金を集め地域に貢献させたいというのもわかります。ですが、募金はあくまでその人が価値があるかどうかを判断して行うものだとおもうんです。
誰がして誰がしてないとそれが募金をしてくれた人へのお礼であっても分からせたりするのはよくないと思います。
とても難しいところですが。。。